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附属小,附属中,旧東浦校舎の歴史

■旧東浦校舎周辺の旧航空写真

1945年以降からは、航空写真が残されています。古い写真とは思えない、はっきりとした大津市中心街の様子を見ることができます。1946、1961、1968、1975の各年の旧東浦校舎周辺の航空写真を掲載します。
写真で見ると現実味を帯びた地形、町並み、建物を思い出すことができると思います。

附属旧東浦校舎周辺の旧航空写真

1946年の大津市街航空写真

図:国土地理院空中写真より転記

大津市航空写真1946年
旧東浦校舎航空写真拡大1946年

1946年 拡大図

1946年(昭和21年)の米軍撮影の航空写真です。

(旧)紺屋ヶ関と浜大津港の間の埋め立てはまだなされていません。国鉄東海道線は、現在のJR琵琶湖線の位置を通っています。国道1号線はまだ山手を通っておらず、後に旧東海道線の跡地を国道に利用したことがわかります。

附属旧東浦校舎はほぼ最終の形をしています。

 

1961年の大津市街航空写真

図:国土地理院空中写真より転記

大津市航空写真1961年
旧東浦校舎航空写真拡大1961年

1961年 拡大図

1961年(昭和36年)の国土地理院撮影の航空写真です。

国道1号線が国鉄の南側(旧東海道線の跡)に通っています。

附属旧東浦校舎は形が変わっていません。

琵琶湖湖畔は紺屋ヶ関-浜大津間で埋め立てが進んできているようです。

逢坂小学校が大津駅の南、国道1号線沿いに移転されています。

 

1968年の大津市街航空写真

図:国土地理院空中写真より転記

大津市航空写真1968年

1968年(昭和43年)の国土地理院撮影の航空写真です。

1965年に附属学校が膳所へ移転してから、この航空写真でわかるように1968年までには東浦校舎は解体されましたが、東浦校舎敷地はその大きさのまま残されていたようです。

大津駅から湖岸へ向いての中央大通り(30m道路)はまだ着工されていません。

 

1975年の大津市街航空写真

図:国土地理院空中写真より転記

大津市航空写真1975年

1975年(昭和50年)のカラー航空写真です。

この年代の附属東浦校舎敷地はもうその面影はなく、様変わりしています。

中央大通り(30m道路)が学校敷地を通過している様子がわかります。大通りは未完成で、大津駅前から計画の半分ぐらいができあがっています。

裁判所はほぼ元の位置で、新しい建物になっています。

大津駅前もかなり変わってきて、大津駅の駅舎、3つのビルなど、いま現在の状況に近い状態です。

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